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2014.05.02 Friday

陣痛


「陣痛」2013     2014年現在加筆中



落款を捺した後も、手元にあれば加筆することがある。
制作当時とは自分が変わっていて、見得るものが違うので、どうしても
手を入れたくなる。
結果だいたいダメにして破ってしまうことが多いが・・・

自分の生というものは何万年も前から今後何万年先も自分のものだ。
全て自分で判断して自分を作って行く。


 
2014.03.20 Thursday

表現という事について



「菊人形」2013年



季節外れの菊人形ですが・・・

去年の11月の個展で発表したこの作品は、私が菊人形から感じていたことを
絵にしたものです。菊人形自体があまり知られていないものだったと発表してから
気がつきましたが、髪が伸びるお菊人形!ではなく、菊の品評会、鑑賞展などで作られる
菊を纏った人形のことです。
菊自体は美しいですが、私には人形にすることの意味があまりわからず、また却って意味を感じ、
10代に初めて見た時から心に引っかかる印象的なものとして今までとってありました。

この作品では、着せられた人間は意志を封じ、装飾である菊のほうがまるで意志があるように
蠢いて体を覆っている図にしようと思いました。
意志の或る筈の人間は、その状態に反抗することなく大人しくポーズでもとっているように座って居ます。




何かの期待に応えるために、何かの批判から免れるために、何かの義務を果たすために
人は無意識に自分の本当の意志とは違う言動をとることがあると思います。
或いは意識的に自分に強いて生きる場合もあるでしょう。

しかし表現するということにおいては、それは必ず精査し、いったい何かとは何か、
確信に至るまで自己に問い正さなければならないと
日々強く思います。
確信したなら、それを間違っていると批判されたり、期待外れとされたり、義務を欠いたと
罪悪感を煽られたりしても、貫かなければなりません。​
つまり、自己に問うということが為されたら、自分の手で自分を作ったと言えるからです。
それはなんて痛快なことだろうと思います。自分に責任を取るということの爽快さ。

自己とは替えのきかないものであり、
表現とは、借り物ではありません。



・・・ということを、画面に具現化出来るように寿命まで頑張ってみようと思っています。



 
2014.03.18 Tuesday

画家とモデル

   昨日に引き続きモデルさんについて書いてみます。


上/伊澤恵美子(女優)
下/パークホテルアーティストルームで、伊澤さんをスケッチしている様子
撮影・富野博則

私は描き手であるので、やはり常に観る側であることが自然です。
描かれたり撮られたり観られたりするのは、仕事なら別ですが、
私にとっては基本的には楽しくないです。
ですから、描かれる側の心理や気遣うべきところに至らない場合もあるのかも
知れないという心配はいつも持っています。しかし、描く前に私の絵を知ってもらって、
かつ十分にコミュニケーションをとり、お互いを信頼出来る空気が感じられたなら、
私は無遠慮にモデルを見つめ始めます。

私の目の前で、存在し、話し、お茶を飲み、緊張し、また打ち解けていくひとりの人間が
私に発する情報量はとても多いです。時空間をまたいで観得てくるひとりの人の持つ背景と
未来が、私の中で泉が湧くようにインスピレーションの点と線が繋がっていきます。

そのなかの一つの情報として性別ということもありますが、他の情報と同等の価値であり
特に性差にこだわりは持っていないのですが、私の描くのが女性ばかりになってきているので
この辺りは今後少し考えていく余地が十分にあると感じています。
ただ、私はひとの意志が描きたいと常々思っているのですが、一般に女性を鑑賞の対象としてだけ描いている絵も
世には多くありますし、またそういうものだと思って生活している男性や女性も少なくないでしょうから、
敢えてきれいな女性に意志を表現させたほうが、よりそれが伝わりやすいのではないかという理由が第一にあります。

しかし単に美しいと思って頂けてもそれはそれで嬉しい事です。
人形のようにきれいな女性、というより美しい女性、と感じてもらえたらと願いつつ精進しています。

私がモデルさんと対峙したときに感じた多くの人としての情報が、画面の人物からも
感じられるようにしたいと思います。
顔姿形を丁寧に綺麗に纏めて描くつもりは毛頭無いので、不安定で抜け過ぎた画面になりそれが良いのか悪いのか
私にもまだわかりません。

人間だと解ればいいとさえ思っています。
ただ、人間とは何か、それは観る方の思うところと合致するか或いは引き出せるか
その点にもかかる課題も常に抱えながら
もっと良い絵を、描きたいと思います。
そのためには私はもっと人というものを知らなければなりません。



 







 
2014.03.17 Monday

モデルと画家



モデルと画家・・・
男性の絵描きの場合でモデルが女性、その場合何か親密な関係に発展する可能性も
なきにしもあらずかもしれません。現にそういう作家も知ってますが・・・
女性の絵描きと女性のモデルの場合はどうでしょう?
私の場合、友人のような関係になることが多いです。

私は現在のところ諸事情により、モデルを直接ポーズをとらせてその場で制作を進めることはあまりせず、
資料写真を撮って、それを使って一人になって練り、作品にします。(注:プロの美術ヌードモデルさんの場合は写真を撮る事は出来ません)
もし叶うなら、気に入った人と一緒に生活をし、好きな時に好きなだけ描かせてもらえる・・・のが理想です。
「あっその顔描かせて!」「あっ今の手そのまま!」そんな感じで呼び止めて、そのまま気が済むまで
描く。それができたら作品も今より上手い事良いのが描けるかもしれません。(たぶん。希望。妄想。)

中学生になるまで、絵を描く時のモデルというものが存在する事を知らず、皆記憶で描いていると
思い込んでいたので、大変だ!と必死に人の構造を記憶しようと毎日観察していましたので、なんとなく
今でも観察して記憶して描くというのが自分の手順になっています。

まずモデルさんに地元駅まで来てもらい、行きつけの喫茶店にて2時間くらいお茶します。
そこで女同士様々な話をして楽しく過ごします。
その間、私はしっかり観察するのです。画室で向き合ってじーっと観るのはお互い固くなるので・・・。

だいたい相手の話と姿からイマジネーションが湧き記憶が進んだ頃、自宅に来てもらい、適当に写真を撮ります。
そして後で、草木も眠る丑三つ時に・・・(じゃなくてもいいけど)その資料から具体的な絵を頭の中に描いて行きます。
この辺りの作業が一番神経と時間と体力を使う気がします。
確実にはっきりとした絵が頭の中に出来上がるまでは、締め切りギリギリでも粘らなければなりません。
消耗するのはそこへのプレッシャーからかも?

さて潮時がきたら、実際に画面に筆を入れ始めますがここからはいつもあまり記憶がはっきり残っていないのですが、
多分反射神経とか経験値とかで進めていると思います。
頭の中の絵と画面上とが真空状態でデータ移動する感じです。
ですから目的地がちゃんといい状態に出来上がっていないと画面上という現場は混乱し指揮系統が錯綜し、
手が勝手に独断で動いたりして失敗します。手はよく指揮しないと勝手に纏めようとしますので要注意です。


あとは描きすぎないように、筆を置く決断も毎回の難所です。自信があれば描き過ぎに走らないのですが、迷いがあると
手数で補おうとしますので・・・結果本末転倒になります。

私はだいたい描いたものは発表することが多いですが、しない場合も時にあります。
しかし、発表したほうが、作品によって最後の仕上げ、自身の成長への機会が得られます。
針の筵のような会期中に、どんなに疲れ切っていても次への意欲を掻き立てるのです。
そこまで仕上げて、やっと少しは前進するかもしれない可能性に近づけます。
近づいただけだけどね!しかも単に可能性!

でもそれが情熱の正体です。


モデルと画家のことを書こうと思ったのに、自分の作業確認になってしまった。











 
2014.03.15 Saturday

肉体とは?




制作(構想の段階)に没頭していると、どんどん体のことを忘れていく。
それでも当然、体あっての生活なので、お腹もすくし眠くもなる・・・筈だが、
自覚が出来なくなってくる。血糖値が下がってフラフラし、うまく座っていられない。どうしたことだ?
となって、ああ何か採らなければと気づく。頭がグラグラし、動悸がして座っていられない。どうしたことだ?
ああ寝てないかな?と思い出す。
これがひと月以上になると、どんどん体の言う事にピンと来なくなってくる。
何が言いたいかわからない。こうするとどうなるの?今何を採ったらいいの?なんで具合悪いの?わからない。
それでも、精神が肉体を導くものだと思い込んでいる私は変わらず体を無視し続ける。


結局は、暴走し始める体に神経と精神は翻弄され、何を信じていいかわからなくなり、しばらく日常生活に支障をきたし
社会と関われない時期がくる。展覧会のあとは大体こんな状態になってしまう。
そろそろそれは改善されるべきと思う。無駄に力を入れているのか?疲れないで描く方法はあるのか?
何が間違っているのか?


今年は肉体というものを描いてみようと思う。
2014.02.24 Monday

ルームドラゴン 龍の部屋



パークホテル東京客室制作初日の様子。

初日は当たりをつけながら、慎重に思案しながら・・・と予定していましたが、
この日から日テレの取材カメラとホテル側のカメラが入っていたので、
あまり広くない部屋の中、後ろに4人の関係者が見守る中、筆を入れることに。
普段ならば、離れてみては一服、思案して一服、と怖々入って行くのですが、
この日は一切サボれず?一気に筆を進めてしまいました。
でもそれは一つの打開感を生みました。

普段の制作は、繊細な和紙に繊細な墨が私の相手です。
しかし今回はビニール系のよくあるクロス?壁紙に、アクリル絵の具で。
実はアクリルは使うの二回目?くらいでほとんど知らない。でもまあ水性だからね・・・
ざんざん描いても大丈夫!というよりそうしないと乗らない!
天井まで描く範囲。全身を駆使した制作でした。

しかしやはり墨の魅力も匂わせたい。白などは使わず、抜いて描くようにし、
墨を使っている者のすべきことをしようとは思いましたがどうだろう。

これまで私は臆していたな、ということを知る機会でした。


大人しくも従順でもない本来の猛々しい私を思い出し、これからは本性をあまり無碍にしないようにしてみます。
2013.07.24 Wednesday

近すぎて見えない

そうと気づけば、
時々離してみて、戻せばいい、
戻らなくってもいいし、
反古にしたっていいし、
良いのが出来ればいいと思ってます。
その自信が今無くともそうすればいいと思います。



 
2012.09.29 Saturday

覚悟の更新

 私の意志は上手く伝わらない。
それは私の筆致にて、具現するしか道はない。
寝て見る夢さえ御すべしと訓練していた十代の、もがきあぐねた日々の、
延長線上に今も在る。
観光したいわけじゃない。誰かが見つけて整備されたきれいな場所に、着地したいわけじゃない。あくまでも、自分で見つけて着地が要。
不安定な場所に片足で立って彼方を見るには五感六感を駆使しなければなるまい、それがしたい。研ぎ澄まして内省し、やがて道理と私が馴染んで一体となれば、次の着地点に足を運べる。
そこは近いようで遠い、或は遠いようで近いかもしれない、しかし景色は驚く程変わり私は知るだろうと思う。
知っていたような気がするが、知らなかったことを、ただ実感するのだ。



2012.05.24 Thursday

知恵

 ずいぶん考え、善処していても至らないことがあります。
そんなときはやはり、信頼できる人に相談をします。

支配しようとする人ではなく、自由にしてくれる人に。



2012.05.22 Tuesday

生まれたいなら 生むしかない

 

伊邪那美 s4 


必然と自然が満ちて
潜在意識と健在意識が交わって
一瞬と永遠が重なって
あなたが生まれたいなら、あなたが生むしかない、自分を丸ごと 生み出すしかない。



覚悟を

何度でも更新


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